フラメンコの大御所、マリア・ヒメネスをご存知だろうか?
セビーリャのタブラオから始まった音楽一筋の人生。
深い悲しみと痛みを胸に、私たちは今日、家族、友人、そして崇拝する人々への揺るぎない献身で愛され、尊敬された女性、マリア・ヒメネスに別れを告げる。不屈の精神、圧倒的な個性、想像を超えるあらゆる困難と闘った強く勇敢な女性」。
1950年2月3日、セビージャでジプシー出身の父と質素な家庭に生まれたマリア・ヒメネスは、15歳で故郷のフラメンコ・タブラオでアーティストとしてのキャリアをスタートさせた。26歳でファースト・アルバムをリリースし、以後、2020年にピティンゴ、ライムンド・アマドール、ミゲル・ポベーダらとコラボレートしたアルバム『La vida a mi manera』を発表するまで、アルバム・リリースのペースは目まぐるしかった。並行して、映画やテレビでのキャリアも音楽活動と肩を並べるものだった。19枚のアルバムをリリースし、10本以上の映画やテレビシリーズに出演した。
マリア・ヒメネスの音楽は、ルンバ、タンゴ、ブレリアス、ボレロス、ランチェラス、バラードなど、さまざまな音楽スタイルを追求しながらも、常にフラメンコの影響を色濃く残している。多くのフラメンコ・アーティストがそうであるように、このセビリア人アーティストもまた、このジャンルに独自の解釈と個人的なスタイルを持ち込んだ。彼女の代表的なアルバムには、『マリア・ヒメネス』(1980年)、『ウン・コラソン・ヒターノ』(1990年)、『ドンデ・マス・ドゥエレ』(1998年)などがある。
マリア・ヒメネスがその類まれな歌声と情熱的な解釈でフラメンコの普及と大衆化に貢献したことは間違いない。彼女の歌と踊りを通して感情を伝える優れた能力(フラメンコペディアの フラメンコペディアフラメンコ用語について詳しくはフラメンコペディアをご覧ください)、その優れた歌唱力と踊りによって、誰もが無関心ではいられなくなり、フラメンコファンの尊敬と憧れの的となった。
さらば、マリア!